岡山市立京山中学時代に野球部で知り合う。一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いであり、それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。高校はそれぞれ違う高校に進学したため疎遠となったが、高校2年生の時に
河本が
井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。
ちなみに2人は中学時代、同じクラスになったことがない。 2人とも勉強が苦手で、中学時代に岡山県の中学生約8000人が受けたテストでは
河本が7980位、
井上が7982位だった。そのため、先生に高校に行きたいと話をしても「夢を見るな」と言われた。(当時の偏差値は
河本23、
井上21であった。)
高校卒業後、
井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし
河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。
井上を誘った理由は「友達の中で、
井上が1番おもしろかったから」。
NSCの面接試験の際に、
河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、
井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。
1994年4月結成。NSC在学中は河本・井上・山下のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が脱退しコンビとなった。 社長は現在東京で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明)。テレフォンショッキングに初登場した際には電報が届いたり、時々ルミネtheよしもとにネタを見に来るなど今でも交流がある。
次長課長ではなく「8ボール」というコンビ名にしようともしていた。
河本は大阪に出てきた当時、何度も岡山に帰ることも考えたが、相方
井上の存在が踏みとどまらせた。「自分がこの世界に引きずり込んで、あいつの人生を狂わしたのに、俺が帰ったらあいつはどうなる」と男気を語る。
河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。また、働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。
NSCの同期には同事務所野性爆弾、ブラックマヨネーズ、チュートリアル徳井、ルート33増田、現在は俳優の三浦誠巳がいる。また吉本外に移籍した者では飛石連休藤井、クワバタオハラ桑波田、超新塾新塾イーグル、諸岡立身らがいる。 ほぼ同期にはシャンプーハットがいる。また、半年後輩にはガレッジセール・フットボールアワー、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号・DonDokoDon・ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。
くりぃむしちゅーと仲が良く、番組でも頻繁に共演している。 心斎橋筋2丁目劇場よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。
卒業ライブでは407人というbaseよしもと観客動員記録を作る。(この記録は今だに破られていない。) ちなみに東京23区ライブシリーズにはフットボールアワー・レギュラーらが毎回出演していた。
レギュラーの「気絶」ネタは
次長課長が考えたものである。
同期のシャンプーハット小出水の結婚式二次会で、
次長課長のお祝いメッセージが流れた。うめだ花月の出番の際に 撮影したが、3〜4分と言われていたのに、10分くらい新婦の名前を間違えるボケを続けたらしい。オチで「嫁に食わせるタンメンはねえ!」でカメラに近づいた際、ピンボケしたため、ビデオ撮影していた大阪時代の構成作家、倉敷氏は「すみません!」を連発していた。
大阪時代に
河本が椎間板ヘルニアで入院した際、
井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシと一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしで、ボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にうけて好評だったらしい。
しかし、
河本が退院した直後に行われた
次長課長単独の復帰ライブはだだすべり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。
河本が入院していた時に、芸人仲間がお見舞いに来てお土産をくれた。1番多かったお土産は「フラフープ」。相方の
井上は「月刊ムー」というUFOなどのオカルト雑誌だったらしい。
当初は
井上がボケ・
河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらに極一部のネタでは今も
井上がボケを行うネタがある。(
井上がボケて
河本にモノマネを振り、
河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)
チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Qの上京物語)歌って彼らを送った。
2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもとの舞台などに出演。 東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も
河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。
マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。
中川家に礼儀から芸事まですべて教え込んでもらったため、「身近だけど神様みたいな存在」だと2人は語る。
河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出た際にジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。しかし2006年10月6日放送のTV番組、「ザ・イロモネア4」で河本は「もうこのネタは今年でやめる」と発言した。 コントのネタ作り以外は、相方である
井上をこの世界に誘ったのは
河本。東京行きを決めたのも
河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は
井上、人生の主導権は
河本」と語る。
あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長
河本」「課長
井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。
「めちゃイケ」内のコーナー『恋のかま騒ぎ』では次長子の彼が
河本、課長子の彼が
井上という設定である。
2005年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いている長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。
ズバリ言うわよ!(2005年3月8日放送)で細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。 井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた。(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)
ちなみに
河本は「ブサイクランキング」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。
品川庄司・品川曰く、(芸人の中で)日本一格好悪い人(河本)と日本一格好いい人(井上)のコンビ。 2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。 「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。JK名義で出しており、テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』の4代目オープニングテーマとして2006年4月〜9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉である。
次長課長:吉本興業 公式プロフィール